PTA非会員の方から投稿がありました。
PTAとは地域の繋がりとは名ばかりで抑圧と差別、社会的排除システムだという見解が寄せられました。
目次
PTAは異質なものを排除する差別に満ちている
1. お名前(ニックナーム)
ゴン太くん
2. 住んでいる地域
関東
3. PTAでどんな役割を担っていたか?
非会員
PTAは地域の繋がりとは名ばかりの抑圧と差別、社会的排除システムである。
組織として一度解体し出直すべきではないか?
シングル、貧困、発達障害、不登校、自身の精神障害等が有って「役員は無理」と負担感を表に出すと「他の人もやってる」と全否定され全体主義システムに巻き込まれる。
その割りにマイノリティーへの視線は冷たい。
むしろカミングアウトすると眉を顰めて通り過ぎる。
恐怖の体験である。
PTAは「地域の繋がりがある」という体裁を取りたいだけの様に思えてくる。
学校も「地域と繋がりがある」体裁が欲しいんだろう。
実際は地域との繋がりなど、弱者を犠牲にした幻影だったのだと思う。
発達障害の合理的配慮を巡って、あるいは不登校時の指導を巡って、学校と協議する事もあり、その中で学校や教育委員会の体制と対決する事も出てくるが、学校組織内部での庇い合いで教師の責任が不問にされ指導能力に対する指導がうやむやにされて来た。
教委は配慮によって子が虐められると脅す。
PTAはそんな親に一人で戦う事を強いて来ただけでなく、親の責任であるという言わばセカンドレイプに加担し続けてきた。
弱い者いじめは学校の権威に隠れれば大義名分が通って堂々とできる。
親の集まりではクラスに指示の通りにくい子どもが居ると聞けば聞いただけで直ぐにクラスから追い出せと言い出す。
学校で地域の青少年支援者が集まれば、貧乏人への憎悪を煽る発言に皆がうなづいている。
要は不穏な者、理解できない者というよりも、嫌いな者を追い出して、身の回りに好きな者だけを置こうという考えだ。
自分らの住む地域の不動産的価値を、嫌いな者を排除することによって高めようという考えだ。
住み分けたいのだ。
他者に対する分からなさを曖昧なままに場を共有する知恵を失い、強く選別する方向へ向かおうとする。
その排除装置としてPTAは機能してきた。
かつて当時既に治る病だったハンセン病患者と共に療養所の子供棟に隔離された子ら(病気ではない)がやっと地域の学校に通えるとなった時、真っ先に反対したのはPTAだった。
療養所の門に待ち構えて外に出さない様に妨害したのだ。
自治の建前で多数で弱者(子ども)を痛めつけても平然としている。
その姿勢を今も受け継いでいる。
遠い過去の事ではない。
排除の対象は発達障害でも何でも良いのだ。
PTAを卒業すると自治会や最近は地域連携とかの役が回ってくるらしい。
商工会のクラブ、保護司、児童委員等子どもを取り巻く支援者と接すると、貧困者に対する憎悪や偏見がある事に気付く。
地域防衛の為に貧困でなく貧困者を憎悪する。
そうした同質な人間が多く集まり憎悪や偏見を増幅する場になっている。
大の大人が10人近く集まって憎悪、恐怖するしか術がないのだ。PTAが学ぶ場になってはいないという事だ。
恐怖、憎悪や偏見は差別を生み出す。強制不妊手術で国が訴えられているが、障害者ばかりではない。
ただ貧困家庭に生まれた為に切り刻まれ家族を持つ希望を断たれた子どももいる可能性が高い。
優生保護法廃止後の現在も進行形で行われているとも伝え聞く。
問題を抱える子どもは上記のような大人達に包囲された状態なのだ。
政府が付けた予算消化に自治体が動けば、先兵として自分の地域の子どもを手術台に差し出す忠実な人間を育てる社会教育団体がPTAだったのだと思う。
もしくはそうした地域偏愛主義とでも言える思考の人間が力を持ち易い組織だ。
こうした学校を中心としたPTAを含む地域の大人達は、自分の子どもとは異質な他者を排除しようとする。
これらの事件は「地域への偏愛」が起こした人権侵害と言える。
PTAは各人が持ちうる劣情を全体主義的運営によって代表し受け継いだ。
まさにアイヒマンのような「凡庸な悪」が醸成される場所だ。
日本にナチスのような大量殺戮は無かっただろうが虐殺というものなら各地に起こっており、潜伏しつつ現代に続いている。
排除して見えない所に追いやり関心を持たない、という事ならば日常誰でもしている。
好きな者だけ集め夢中になれば良いからだ。
地域を愛して好きな者だけで集まり個々人が各役割で夢中になって働くPTA等の集まりは元々「凡庸な悪」に陥り易い条件を兼ね備えているのだから、注意しなければならない。
見えない事も有ると考えるべきだ。
可能なはずの任意加入を隠して非会員を認めないという姿勢は、排除して見えない者を、包摂できていると一方的に見る冷酷な無視であると私には思える。
過去の愚行を繰り返すのではなく、そこから教訓を学び取り伝えていく活動をしなければ、新しい事態に直面してもまた社会的排除を続けるだろう。そしてその活動を学校、地域の環境を整える活動として評価し続けるだろう。現代に過去の愚行を再現してしまう事などないという保証はどこにも無い。
やりたい人は自由だが、学校への労働による無償奉仕は、問題を抱える子どもへの直接の支援にならないばかりか、自分が排除装置の歯車の一つになる可能性もあると心に留めて欲しい。
学校や地域によって子どもが潰されるかもしれないと恐怖を抱える親に、支える言葉でなく同調を強いて来るのは勘違いなのでやめて欲しい。
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